続フィンランドに行って来ました。
旅には強いパワーがあるのは間違いありません。
人は、気力で生きている。
年と共に体の不具合は誰しも持っていること。
それが旅に出た途端、、、ミラクルが起こるのを何度も見てきました。
そう、今回も!
ヘルシンキ滞在型で、ゆっくり過ごすはずでしたが…
地図を眺めていると
「エストニアへ行きたい!」となって船で渡りました。
【ヘルシンキ港の待合室】
ヘルシンキ港からエストニア・タリンまでは船で僅か2時間。
しかも定期便なのに、大型客船で、船内は免税店もあったりして、
ぶらぶら冷やかしていたら、あっという間に隣国に到着となります。
エストニアはバルト3国のひとつ。
小国ですが、IT国家として世界最先端の技術を誇る電子国家。
これは知りませんでした。
「中世の街並み残るおとぎの国」という、
観光キャッチフレーズにだけを目的に渡航したもので。
そして、それは期待以上に「可愛い」を連発する街並みでした。
【三人兄弟と呼ばれる旧市街の典型的集合体建物】
【旧市街の石畳風景、職人中庭と呼ばれるアートスポット】
【死のダンスで知られる聖ニコラス教会】
ただ私が旧市街を歩いていて一番目に留まったのは、ウクライナの国旗でした。
自国の国旗と並んで掲げられていました。
当たり前ですが、ここエストニアはフィンランドと同じく
東にロシアを隣接する国。
1991年にソ連から独立して、EUとNATOに加盟、
民主化と西欧への道のりを歩んで来ました。
と、これは現地ガイドさんからの受け売り。
つまり、エストニアという国が誕生してまだ34年。
隣国で起こっていることを考えれば、
ウクライナ国旗を掲げることで強い意志を表していると聞きました。
【ロシア領事館】
でも、かつてロシアだった地。
親戚縁者もいるでしょう。
ついこの前では行き来も自由だった。
だからでしょう。
エストニア語、英語、そしてロシア語が日常に溢れていました。
エストニアとウクライナの国旗が上がる議事堂の前にはロシア正教会の建物。
人々は普通に暮らしていました。
もちろん側から見ればかもしれませんが。
ここに島国に生きる者と、大陸に生きる人々との違いを感じたんです。
最終日の朝。
迎えのタクシードライバーはロシア人でした。
陽気に英語で話しかけてきて
日本を訪ねた時の興奮を語ってくれました。
とても日本が好きだとも。
そして確かに言ったんです。
「広島、長崎で起こったことはテリブル」と。
一体誰のためにこの戦争は続いているんでしょう。
港に到着しました。
エストニア語のありがとうは「アイタッ!」
やっとスムーズに言えるようになった言葉でしたが、
「スパシーバ!」
ドライバーに別れを告げ、エストニアを後にしました。
ヨーロッパのどことも異なる独特の色彩!
ヘラジカのワイン煮込みと、黒麦を発酵させた飲み物カリ。
旧市街の中心にあるホテルに宿泊。
レトロな意匠も素敵です。
ホテルの朝食風景。とにかくパンが美味しい!
梨のような、シャキシャキの果物が出ていました。
お部屋のカーペットのデザインです。
ホテルの中庭。