狩野永徳と村上龍とシンディ・ローパー
最近、気になっているのが「ギフト」という言葉。
ちまたで話題のふるさと納税のはなしではなく、先日、新聞で、
――「贈り物」を意味するgiftは、ドイツ語では「毒」という意味――
とあるのを読んで、あっと腑に落ちたのです。
ギフトには、「天からの贈り物」より転じて、
才能という意味もあります。
アーティストにとって、一番たいせつなことは何か。
そう問われたシンディ・ローパーは、
「自分に与えられたギフト(才能)をよく知ること」 と答え、つづけてこう言ったというのです。
「ギフトをよく知り、ギフトを生かすこと。
ギフトは、それを生かさなければ、自分に復讐する」
今日、ふたつの襖絵を見て、そのことばを何度も反芻しました。
京都の大徳寺・聚光院で公開されているふたつの国宝。
天才絵師と呼ばれた狩野永徳と、
その父、狩野松栄によるものです。
まずは、父、狩野松栄の筆による「竹虎遊猿図」(国宝)
つづいて、息子、狩野永徳による国宝「花鳥図」。
24歳のときの筆といわれています。
(写真撮影は禁止されているため、パンフレットより)
決して絵が分かるわけではないのですが、
伝わってくる躍動感が、まったく違いました。
もっといえば、描き手がそのとき感じていた歓喜、でしょうか。
24歳の永徳、枝の一本、鶴の羽のひと筆ごとに、きっとトリップしていたんじゃなかろうか。
そう思えるほど、描き手の喜びが、時間を超えて、いきいきと伝わってきました。
で、それこそが「才能」なのだと、村上龍が言っていると、内田樹は書いています(急に飛びますね)。
才能は「アウトプット」で測るのではない。
その活動から引き出した「快楽の総量」で測るのである。
ある活動のためにいくら時間を割いて、どれほどエネルギーを注いでも、まったく苦にならないで、
それに従事している時間がすみずみまで 発見と歓喜に満たされているような活動が自分にとって何であるかを知っていて、
ためらわずそれを選びとる人間のことを、私たちは「才能ある人間」と呼ぶのである。
内田樹 著 『子どもは判ってくれない』
素晴らしい絵を描いたから、才能があるのではない。
自らのギフト(才能)のありかを知り、苦悩すら歓喜に変えて、そこに何もかもを注入した、
その結果として、いま私たちにこの絵が残されてあるのでしょう。
一方のお父さんは、あまりにも「才能」あふれる息子の描きっぷりを横目に、
自らにもあったはずの才能を置き去りにして、どうもいじけてたんじゃないかしら。
この、何やら考え込んでいるお猿さんは、
松栄が自らを投影したものという説もあるのだとか。
…と考えると、先の
「ギフトは、それを使わなければ、自分に復讐する」
こわいコトバだと思いませんか?
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