白蓮さんに会いに
この秋のイチオシ公演。
熊本は山鹿、極彩色の天井画で有名な芝居小屋、「八千代座」が百周年を迎え、
ゆかりの深い坂東玉三郎が、あでやかに舞います。
玉三郎ファン、芝居小屋ファンにはたまらない舞台です。
ぜひ八千代座でその公演を見たいというお声をいただき、
さっそく企画にかかって、はたと考えこみました。
熊本まで行くなら2泊3日は必要です。
中日は八千代座で玉三郎を見るとして、前後の2日、どこへ行くべきか。
そこで思い出したのが、ひとりの女性です。
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かつて、柳原白蓮(びゃくれん)という女性がいました。
親しみを込めて、白蓮さん、と呼ばれます。
大正天皇の従妹という血筋の名門華族。
菊池寛の『真珠夫人』のモデルとされ、大正三美人にも数えられた美しい人。
そして、華族という家柄も捨て、九州一の炭坑王の妻としての身分も捨て、
年下の恋人のもとへと駆け落ちをした情熱の歌人。
白蓮が、九州一の炭坑王として財をなしていた
伊藤伝右衛門と再婚させられたのは27歳のとき。
当時、伝右衛門は52歳。
しかし、その結婚生活は妾やその家族とともに暮らすといった陰惨なもので、
心の空虚さを埋めるかのように、白蓮は歌の世界に傾倒していきます。
その世界で出会った年下の歌人、宮崎龍介との恋。
姦通罪のあった時代、やがて白蓮は龍介の子を宿します。
大正10年のある日、白蓮は夫の前から突然、失踪。
その日の夕刊には、白蓮から夫に突きつけられた「公開絶縁状」が掲載されました。
その内容とは――
『私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。
私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます』
当時、世論は白蓮をはげしく非難する声で満ちたそうです。
報復をといきり立つ周囲に対し、夫の伝右衛門はしかし、
「一度は惚れた女」と手出し無用を命じたとか。
龍介との暮らしは、貧しいながらも満ちたりたものだったようです。
晩年には病で両目を失明したものの、龍介の介護のもと歌を詠みながら、
静かで平穏な日々のなか、81歳でその生涯を閉じました。
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白蓮と伝右衛門が暮らした屋敷は、ぼた山に囲まれた福岡県飯塚市にあります。
お芝居が好きなあの方なら、この寄り道はきっと気に入っていただけるはず…。
白蓮が自らを「かごの鳥」 と詠んだお屋敷、
「伊藤伝右衛門邸」を訪ねることにし、企画を完成させました。
今日、事務所にご来店くださったお客さまにさっそくお見せしたところ、
「白蓮さん!?」と、即答でお申し込みをいただきました!
実はね…と、そのお客さま。
「私がまだ物心もつかないような幼いころから、
父がよく白蓮さんの話をしてたのよ。すごい女性だって言いながら。」
「あれは何かしら? 私にも白蓮さんみたいになってほしかったのかしらね?」
…わかりません。
でも、その時代に、まだ幼い娘さんに白蓮さんの話をするなんて、
きっと素敵なお父様だったのでしょうね。
この秋、白蓮さんと玉三郎さんに会いにいく旅。
詳しくは、銀のステッキ・旅サロンへどうぞ。
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