2026/4/02
西行終焉の地、弘川寺の桜霞
『願わくば花の下にて春死なむ
その如月の望月の頃』
あまた残されている辞世の句の中でも、もっとも知られるのがこの一首
もしも願いが叶うなら春の桜の下で死にたい、二月の満月のころに
2月(旧暦)の15日は釈迦入滅の日であり、花と月は西行が生涯追い求めた象徴
西行はまさにこの一首のとおり、
2月16日(釈迦入滅の翌日)=今でいう3月末頃のことに
大阪の弘川寺の桜の下、身罷りました
本懐を遂げられたのですね
奇しくも、今日は旧暦でいうところの2月15日=釈迦入滅の日=西行が亡くなった一日前
不思議な縁を感じました
河内長野にある、女人高野「金剛寺」も参道を見事な桜が彩っていました
花(桜)を詠んだ句はたくさん残されていますが、
私がこの時期いつも思い出すのはこの一句
『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』(在原業平朝臣)
この世の中に、まったく桜というものが無かったら、春を過ごす人々の心はどんなにのどかであることでしょう
いつ咲くのだろうか、いつ散るのだろうか、どうか散らないでほしいことよ・・・
この時期、平安時代の歌人も悶々とした日々を過ごしたのでしょうか
実際、桜なんてなければいいと言っているのではなく、桜の花が美しすぎる、儚すぎるがゆえに心が乱れる
それほどに桜の魅力を詠んだ反語的な歌なのです
そうです、私は結局、桜の魅力に憑りつかれているからこそ、悶々と悩むのです
桜よ桜、どうか散らないでおくれ




