長崎で考えたこと その2
少々時間があきましたが、夏休みに訪ねた長崎報告その2です。
とりあえずは飛行機だけ予約しといて、
あとは温泉に行くか、どこぞへ行くか、まあ着いてから考えよう。
いつものそんなラフさで計画(?)していた長崎旅行ですが、
出発する前日になって、到着するその日が「長崎の日」であることに気づきました。
となれば、まず空港から直行すべきは平和公園です。
市内への直行バスに飛び乗り、キャリーをコインロッカーに預ける間もなく向かった平和公園では、
平和祈念式典がちょうど終わったところ。
それでもまだまだ多くの人々が、それぞれの思いをもってそこに集われ、
テレビ局や新聞社の記者さんなど、報道陣もたくさん来られていました。
キャリーをがらがら引っぱっていたのが珍しかったのか、
地元のテレビ局からマイクを向けられました。
別に顔がさすわけでもないのですが、「あ、ちょっと、それは…」となった私に
カメラマンの方、「あ、使いませんから、一応ということで」。
今日はどちらからですか?
どんな思いでこちらに?
どんな思いも何も、昨日たまたま気づいたんやって~ とは心の叫び。
でも、暑いなか汗を流してカメラを廻しておられる長崎の方にそんなこと言えません。
「父の故郷が長崎の島原なんです。」
「子どものころ、お盆で島原に帰省するたびに、平和公園には連れられてきていて。」
「今は旅行業なので長崎にもよく来るんですが、ツアーで平和公園にお連れすることはほとんどないんですね。」
もちろんウソではないのですが、場当たりの答えを重ねていると。
最後にひとつ…とカメラマンさん。
戦後70年が経ち、私たちもどう伝えていけばいいのか模索しているんですが、
なにかヒントというか、…どうしたらいいと思われますか。
そんなムズカシイこと、昨日まで、「ま、とりあえず温泉でも」 と思っていた私に訊いてはいけません!
使いませんから…と仰っていたこともあり、最後はおちゃらけて答えてしまいました。
汗をふきふき、ありがとうございました、と去っていかれたのですが、
まじめに答えられなかったことがたぶん、心のどこかに引っかかっていたのでしょう。
長崎滞在中、「どうしたらいいと思われますか」 がときどき頭をかすめました。
思い出したことがふたつあり、ひとつは、
阪神大震災から1年半後に書かれた「被災者責任というもの」という文章です。
――それぞれの被災経験は、過ぎていく歳月とともに「個人的な記憶」としてだけ残り、
やがて消えていく。でも、そうではなく、
あきられない形、
なかなか忘れられない形、
誰しものこれからに活かしやすい形で、
私たちの被災経験を 社会全体の経験として
再構成してゆく責任があるのではないか。
と結ばれる短い文章。
もうひとつは、子どものころに繰りかえし読んだ、『はだしのゲン』と『ふたりのイーダ』 です。
長崎で読みかえそうと、今回、私はカバンの中に 『ふたりのイーダ』 を入れてきていました。
平和祈念式典から2日がたち、今日の午後には関西へ帰るという日、
カメラマンさんには偶然、別の町で再会することができました。
「最後に聞かれたこと。文学とか、物語だとおもいます」
そうお伝えできたことにすこし安堵して、長崎をあとにしました。
■銀のステッキ旅行
下記コースにご参加されるお客様へ《ご予約済みの方》
1、8/17(月) 桂米朝追善 米朝一門会 集合 JR北新地駅・西改札口11:15
2、8/17(月)地球投五郎宇宙荒事 集合 地下鉄御堂筋線心斎橋駅・3番出口11:15
早めのお昼ごはんの後、観劇です。
添乗員が旗を立ててお待ちしております。
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