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2018/2/06

マカオの路地裏~下見報告~

 

香港が中国に返還されて、今年20年を迎えました。

その2年後に返還されたマカオ。

先月、10数年ぶりに訪ねました。

 

かつて、「今までで一番良かった国はどこですか?」旅人は、私の問いにこう答えました。

「マカオかなぁ」。彼は、今では渡航さえできなくなった中東や、秘境とよばれるアマゾンや、まさに世界を旅していました。そんな旅人の答えが「マカオ」でした。意外でした。なぜなら当時、「香港・マカオ」は海外旅行の定番パック。何かの懸賞や、会社の親睦旅行できっといつか意図せずに訪ねることができる場所、が、私の認識でした。

 奇しくも卒業後に勤めた会社の慰安旅行で訪ねたのが私の最初のマカオ訪問でした。ポルトガル領だった「マカオ」はなんとも垢抜けしない、私が知る中国そのものでした。路地裏で、麻雀のじゃらじゃら音が聞こえ、汚い猫があくびをして、その前で同じくあくびをする干物屋の店主。アジアそのものなのに、町並は、東洋の人々には不似合いなパステルカラー建物が並び、アズレーショ(ポルトガル絵タイル)の藍が熱帯性の赤い花に際立ち、でもどこか薄汚れた感も否めず、それが数時間も路地をさまよえば、しっくり「マカオ色」に馴染んでいたから不思議です。

 アジア圏にはコロニアル文化が残る場所が多いのですが、中国文化に西洋文化が融合する場所は、稀です。強烈な大陸文化と、遠く西の最果てポルトガル文化が共存した「マカオ」は、それだけでも特異な旅情を放つ国(自治区)といえるのかもしれません。

  

 

 「リオラの水を飲みし者、マカオから離るること能はず。マカオこそ其の故郷となりて、マカオに必ずや帰らん」

―リオラ広場 マカニーズ詩集より

これは、マカニーズと呼ばれる、ポルトガル人と中国人、マレー、フィリピン、インドなどアジア系の人々との間に生まれた人がマカオを想って詠った詩です。

 

2005年に世界遺産に登録されてから聞こえてくるマカオの印象は「どこもきれいになってテーマパークみたいでつまらない」

少し足が遠のいていましたが、このたび関西空港からマカオ航空の直行便を利用して、訪ねました。

関西空国からマカオまでは直行便で、約3.5時間の短いフライトです。関空を昼出発、現地は朝出発と、時間帯は、あまり良いとはいえませんが、結果だけでいうと、2泊3日で、観光としては十分でした。

小さな島ですから、丸一日あれば、マカオを堪能できるでしょう。

空港からすぐに私の目にまっさきに飛び込んできたのは、カジノや、それを有する毒々しい光を放つ巨大ホテルでした。周囲の協調より自己主張が何よりというというミラーボールホテルばかり。でも、慣れてくるとこれはこれで面白いのかも、と、2日目の夜には、すでに納得していました。ポルトガル時代が、長かったマカオ。でもやはり根底にある中国人の血が騒いだのでしょう。

そんな、異様なる乱立の高層ビルにあって、下界には、迷路のような石畳の路地が残り、そこには、まぎれもなく、マカオニーズの変わらぬ日常があって、テーマパークのようにきれいに整備された世界遺産を寝巻きで歩く変わらぬ人々に、ホッとさせられたのでした。

 

 マカオが中国に返還された日は、アジア最後の植民地が消滅した瞬間でした。あれから18年。中国でありながら、独自の統治制度で歴史を生き抜いてきたマカオ。いまマカオの人々はどこを向いて生きて行こうとしているのでしょうか。

 テーマパーク化しようと、高層ビル群が林立しようと、中国人でもなく、ポルトガル人でもなく、やはりマカオニーズとして、これからも生き抜く強さを感じます。特別統治が許される返還から50年後、また歴史の渦に飲まれることをすでに知らされている人々なんですから。

 彼は、知っていたのでしょう。歴史に翻弄された国には、旅人を魅了する残夢の香があることを。

 

  今回はマカオだけを、じっくり周る旅を企画しました。ぜひ、ご一緒ください。